日本人の「大企業依存体質」が及ぼすイノベーションへの影響とは?
「我々日本人は、もう絶対にイノベーションを起こすことはできない。グーグルのような企業も生まれない」。このような台詞を、よく会議で耳にします。日本人は、イノベーション精神をなくしてしまい、ヒット商品や新規企業をつくることができない、と言われているのです。
このような厳しい自己批判を、私はとても残念に思います。それは、この考え方が悲観的なだけでなく、間違っているからです。今の日本人にイノベーション精神がないと言うのが、そもそもの勘違いです。日本という国は、ずっと前から世界におけるイノベーションリーダーの1つです。
そして、今も昔も、日本のイノベーションのほとんどは、大企業の中で起きています。また、現在日本の重要なイノベーションの多くは、消費者向け商品にではなく、その中間製品の、素材や化学の部分で活用されています。それでも、これらは立派なイノベーションなのです。
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日本は、今も昔もイノベーティブです
更に、日本にグーグルのような企業がない、というのも正解ではありません。そもそもグーグルは世界を見ても特異な企業なので、比較対象としては適していません。そして日本には、力強くて若い企業がたくさんあります。例えばソフトバンクとその連結子会社であるヤフー・ジャパン、楽天、DeNA(ディー・エヌ・エー)、グリーなどのほか、日立グループなど大企業グループに所属するハイテクな子会社もあります。
研究開発やイノベーションというのは、規模や影響力よりも「経済の中のどこで起きるか」という点において、国ごとに大きく違っています。米国では、破壊的な技術の多くが、大企業や新しく創立したスタート・アップ企業を通じて起きます。それに対し日本では、遅くとも1960年代からずっと、大企業やその子会社です。日立製作所、ソニー、ブリヂストンなどの研究部門は、世界的にも有名です。
大企業の中で研究開発を行う体制が取られることには、多くの理由が挙げられます。その中で1番大きな理由は、高度成長期の日本の主力銀行中心型の間接金融システムが、大企業内ベンチャーを容易にする一方で、新興企業の研究開発を困難にしたためです。元々、米国を追いかけていた時代の日本では、多くの研究開発が消費者向けでした。素早い投資の見返りが約束され、かつ税法が研究開発費の償却を可能にしていたため、大企業内での研究開発が財務的に魅力的だったのです。
ドイツでは大企業の社長は「うさんくさい」!?
この体制の結果、大企業が最先端技術による研究開発を独占する半面、中小企業がこれに携わることがほとんどありませんでした。今現在も中小企業は大企業の下請けとして尽力し、「ものづくり」や「改善」の力で評価されてはいるのですが、「下請け」という言葉から、本音ベースでの上下関係がはっきり分かります。また、ほとんどの日本人は、中小企業を「イノベーションの担い手」というより「サービスの提供者」とみなしています。
それに、スタート・アップ企業の経営に携わることは、特に起業者の義理の両親など親類縁者から「変わっている」とか「変」とか言われたりするので、肩身の狭い思いをしてしまいます。しかし海外と比較すると、このような経済の見方は少々特殊なのです。
ドイツは、日本と正反対です。多くのドイツ人は大企業を必要悪と見なしており、大企業の社長は、権力が強くお金持ち過ぎるため、かえってうさんくさく思われているはずです。ドイツ人が尊敬しているのは、「ミッテルシュタント」(中規模の会社)です。この、「中型企業」の定義は少しあいまいで、従業員数1000人以上の企業もいくつかこの枠組みに含まれているのですが、ドイツ人はこのミッテルシュタントの企業たちこそ、経済、イノベーション、そして雇用を支える、ドイツ経済の真のエンジンであると信じて尊敬しています。
米国人はというと、日本人と同様に、大企業を崇拝していますが、2つ例外があります。
1つは、米国が面積も人口も大きな国であり、米国大企業のほとんどが東海岸、細かく言うとシカゴの東側とダラスに位置していることです。西海岸はというと、カリフォルニア州が独自の大きな経済力を持っている半面、米国の100大企業のうち12社しかカリフォルニアに本社を置いていません。その企業というのは、アップル(1976年創業、以下同)、ヒューレット・パッカード(1939年)、インテル(1968年)、グーグル(1998年)、シスコ(1984年)、オラクル(1977年)などです。
この中に、既に大手となった企業が多いのは事実なのですが、多くのカリフォルニア人は、これらの企業がまだまだスタート・アップであると考えています。これは、カリフォルニア州の人々が、スタート・アップの起業者を誇りにしているからです。
米国と日本との2つ目の違いは、大企業に皆が憧れるとはいっても、米国では「1位であり続ける」ということが様々な意味でとても難しい点です。アメリカ英語には、“to root for the underdog”という慣用句があります。これは、力強い巨人と戦う、小さな小人を応援する、という意味です。野球で例えると、ニューヨーク・ジャイアンツが、サンディエゴ・パドレスのような下位にいるチームと試合をする時、ニューヨーク出身でない人は大抵、「勝ち目のない方」である、サンディエゴを応援するのです。
企業においても、この考え方が当てはまります。ご存じのように米国はとても訴訟好きな社会であるため、お金がたっぷりある業界1位の企業は、たくさん訴訟を起こされます。また、1位の企業は、その産業にいる全ての企業が犯した過ちに対し、代表して批判を受け止めなくてはいけません。米国1の小売り企業、ウォルマート・ストアーズが最も分かりやすい例でしょう。
ナンバーワン企業は訴訟の餌食になる米国
ウォルマートに対する起訴がとても多いのに対し、小売業2位で、ウォルマートと企業形態がそっくりなターゲットに対する訴訟は、とても少ないのです。それから、2010年にトヨタの社長が米国議会のヒアリングに呼び出され、リコールがあったことは、記憶に新しいかと思います。私は、もしトヨタが、当時の米国において自動車産業1位の企業でなかったら、企業へのダメージがもっと少なかったのではないか、と考えています。米国人の中には、1位の企業、人、選手などを象徴として訴訟などの攻撃対象にすることが好きな人が、大勢いる様子なのです。
日本と違う国は他にもたくさんありますが、もしかしたら、アジアでは日本と近い国がいくつかあるのかもしれません。しかし、全体を通してみると、 どうして、日本人は若者から老人まで猫も杓子もこんなに大企業ばかりが好きなのか、というテーマが浮かんできます。これには3つ、主要な理由があると思います。
1つ目は、産業政策の結果、2つ目は賃金格差、3つ目は、社会的序列の維持のためです。これ以外にも様々な理由があるでしょうが、その点については筆者よりよくご存じである読者の皆さんのコメントを読むのを楽しみにしておりますので、どしどしお寄せください。
産業政策がもたらしたもの
以前のコラムで紹介したように、高度成長期の日本政府は、大企業の急成長を促す政策を実施していました。全ては規模を基準に測られ、そして規模は売上高を基準に測られていました。今日の新聞を見ても、企業の年間業績ランキングは、大抵売上高の大きい順に決められていることが分かります。このルーツは、1960年の初めに産業別のランキングが生まれたことにあります。売上高で決められていた非常に厳格なランキングで、どの産業においても、誰がトップの企業なのかを皆知っていました。そして面白いことに、90年代までこのランキングはほとんど変動しなかったのです。
この硬直化した産業別ランキングが生まれた原因は、産業政策方針にもあります。大企業が官庁と直接コネクションがあり、そして銀行融資が主要なこの時代では、大企業の主力行はより大きな企業に融資しようとします。売上高が高いほど、安く資金調達ができたということです。また、大企業は毎年優先的に新規雇用できたため、トップクラスの大学におけるトップクラスの優秀な学生を確保することができました。
それから、大企業のCEO(最高経営責任者)は財界のリーダーとして有名になりました。最終的に、ここはあまり論理的ではありませんが、株価さえ、売上高が高いほど高くなってしまったのです。本当の競争市場なら、企業の株価は企業規模ではなく、効率性やビジネスモデルの強さなどで決められるはずなのですが。
2014年7月1日、中小企業庁は2014年版中小企業白書を発行しました。その白書のデータを見ると、日本の中小企業の実態が、実は海外のそれとよく似ているという面白い事実が分かります。しかし日本では、小規模企業に対する独特の見方(=大企業の下請け)と、小規模企業のための特殊な保護政策の結果、その産業内における序列をまず重要視する考え方が深く根付いてしまっているのです。
中小企業が53%以上の経済的付加価値を生む
日本の興味深いところは、「中小企業」が、中小企業基本法によって明確に定義されていることです。おおざっぱに言うと、日本では300人以上、卸売業なら100人以上、小売業なら50人以上の従業員がいる企業を大企業と呼びます(他にも様々なカテゴリ分けがあり、こちらに記載されています)。これに対し欧米では、もっとあいまいに企業の大きさがカテゴリ分けされています。統計を見ると、多くの国では、500人以上従業員がいる企業が大企業と呼ばれています。
中小企業白書には、毎年たくさんの図表が載っていますが、最も重要なデータは付属資料に詰まっています。企業ベースのデータを見ると、従業者が300人以上いる大企業が、約1万600社あることが分かります。これは、日本の全企業数の0.3%に当たるのですが、彼らだけで従業者全体の37%を雇用しています。
逆に言えば、日本企業全体の99.7%にあたる中小企業は、従業者全体の63%を雇用していることになります。また、全企業数の86.5%が従業者20人未満(サービス企業の場合はこれ以下の数)の零細企業なのですが、彼らは従業者全体の15%を雇用しています。そして最も重要なのが、中小企業が、経済的付加価値や売り上げなどから計算された経済全体に、50~55%も貢献していることです。
これらのデータは、他の先進国の数値とよく似ています。 ほとんどの先進国の中小企業は、全企業数の99%を占め、従業者全体の60%を雇用し、経済的付加価値の50%に貢献しています。これらの数値から見れば、日本はとても平均的な国なのです。
(1)「負け組」の中小企業のための政策の特徴
言うまでもなく、どの企業も、始まりは小さな企業です。豊田喜一郎さん、本田宗一郎さん、松下幸之助さん、ソニーの盛田昭夫さん、シャープの早川徳次さんなど、日本を代表する偉大な経営者だって誰もが最初は起業者でした。
大正時代や昭和時代初期、そして特に第二次世界大戦以降の日本は、とても高い開業率を維持していました。2014年度中小企業白書によると、1960年~70年代の日本の開業率は6%以上、廃業率は約3%だったそうです。これを大ざっぱに言えば,全企業の6%が新興企業だったということです。これに対し現代はというと、産業により多少数値の違いはありますが、日本の開業率は大体1-2%しかありません。
新興企業のほとんどは、小さいままであり続けています。日本で戦後に産業政策が実行された時、大企業を優先して成長させる政策が本当は不公平であることも、政府は知っていました。一方で全雇用者の7割が中小企業の雇用者で、その人たちが投票者の過半数を占めていることを自民党は理解していました。そのために政府は、中小企業向けの支援政策を導入しました。
1962年の商店街振興組合法、63年の中小企業近代化法、67年の中小企業振興事業団法が、その中小企業支援政策の法律の例です。これらの法律の中枢にあるのは、63年の中小企業基本法です。この法律で、資本金の額、出資総額、従業者数を基に中小企業が定義されました。そしてこの法律の目的は、この第三条にある通り、「近代化設備の導入等」「構造の高度化」「近代的経営管理方法の導入」を通して中小企業を支援することです。
中小企業を「負け組」「底辺」扱いしてきた日本
これらの法律はどれも、全ての中小企業は弱い、あるいは「負け組」である、という考え方から作られています。政府が、大企業を産業構造の頂点に置いて守っていたため、ハイテクなスタート・アップという概念がありませんでした。中小企業は、日本の二重構造の底辺にあり、大企業の成長を支援することが目的である、と考えられていました。
その見返りとして、中小企業は税率の引き下げや、独占禁止法適用除外などといった特別な待遇を受けることができました。この待遇があるからこそ、法律で中小企業を定義し、待遇を受けられる企業を絞らなければならなかったのです。そしてもちろん時間が経つにつれ、これは企業が従業員を300人以下に維持し続ける誘因にも繋がりました。
経済産業省は1999年頃、大企業を優先し、中小企業を負け組認定し続けてきた政策が、結果として新しい企業を起業することをとても難しくしてしまっていたことに気づきました。そこで、中小企業基本法を改訂し、第三条に、中小企業が経済を回し、新しい経済成長を促すエンジンであると明記しました。これを読む限りでは、変化が起きているように思えますが、多くの日本人や、中小企業庁自身にさえも、まだまだ昔の考え方が残っている、と私は思います。例えば、2014年中小企業白書には、「中小企業・小規模事業者の支援の在り方」という特別な項目があるのですから。
(2) 賃金格差
日本のデータで、海外と比較すると、とても際立つ数値があります。それは、規模間賃金格差です。下の表を見ると、特に製造業において、日本の大企業対中小企業の格差が、比較的大きいことが分かります。逆にイギリスやスウェーデンでは、小さい企業で働くほど賃金が高くなります。フランス、イタリア、ドイツでは、賃金は経営規模にあまり左右されません。
国 | 企業規模(人) | ||||
---|---|---|---|---|---|
計(1~5) | 5~29 | 30~99 | 100~499 | 500~999 | |
日本 | 65.5 | 53.2 | 63.6 | 76.9 | 87.2 |
(製造業) | (69.9) | (51.2) | (58.2) | (75.3) | (88.1) |
1~9 | 10~49 | 50~249 | 250~499 | 500~999 | |
アメリカ | 56.6 | 70.4 | 76.2 | 80 | 84.7 |
(製造業) | (55.3) | (64.5) | (69.7) | (74.7) | (80.2) |
イギリス | 84.3 | 93 | 102 | 104.8 | 109 |
ドイツ | 64.2 | 68.8 | 75.9 | 82.8 | 91.1 |
フランス | - | 85.2 | 89.4 | 96.8 | 98.4 |
イタリア | - | 72.5 | 83.3 | 89.5 | 96.7 |
スウェーデン | - | 100.6 | 102.8 | 106.7 | 104.7 |
出所:労働政策研究研修機構(編)
日本は2009年、米国は2007年、そのほかは2006年の数値。
この賃金格差は、二重構造を一層強化しました。多くの製造業の小規模企業は、1つの大企業に頼っている下請け企業であり、価格の交渉能力がありません。卸売業でさえ、多くの中小卸は1つの大きな取引先に頼っています。このような特約店のような関係は、大企業が急成長していた高度成長期では、うまく機能しました。しかしそれが機能しなくなってきた今日でも、この賃金格差があるため、本当は中小企業で働きたい人でさえ、大企業で働こうとするのです。
とはいえ、1960年代後期に労働者不足だった短い間には、日本の大企業と中小企業の間の賃金格差は狭まったので、これから労働者不足の時代が訪れて、より柔軟性がある労働市場が完成すれば、この賃金格差は次第になくなるでしょう。
(3) 社会的地位
ほとんどの日本人が、順位やランキングが好きなのは事実でしょう。この点に関しては、洋の東西を問わない部分があります。しかし日本人の場合は同時に、順位が乱れることを極端に嫌うため、ランキングが常に同じであることも好みます。米国やドイツは、この点において日本とかなり違っています。
米国史を見ると、各世代の植民者が限界を超え西へ西へと移住しようとした米国人の「フロンティア精神」に、今でも強い憧れがあることが分かります。彼ら草創期の植民者は、冒険家として今も尊敬されています。また、現代の米国経営学におけるホット・トピックは、「technological disruption」(技術的破壊)です。新参者は既存のルールを打ち破ることができる、という考え方に米国人は魅了されていて、これに関する本もたくさん書かれています。彼らは時折、新しいものこそいいものだ、と「勝ち目の低い方を応援」する価値観というか、マインドがあるのです。
一方でドイツ人は、ある程度社会的な地位を気にしますが、実力社会でもあるため、最終的には能力を基準に評価するのが一般的です。たとえ「必要悪」の大企業でも、本当に優秀な優良企業であるなら好きなのです。これにも歴史的な背景があるのでしょう。例えば1517年、マルティン・ルターは「95カ条の論題」を基にカトリック教会に挑戦し、この強大な相手と戦うにつれて多くの同士を集め、実力でプロテスタント教会を生み出しました。
このようなシチュエーションに憧れるからこそ、ミッテルスタントに参加できたスタート・アップを、ドイツ人は褒め称えるのです。それから、産業内ランキングがしょっちゅう変動し固定化されていないため、誰でも「優良」グループに参加する権利を持っている、という特徴もあります。
ベンチャーは、お上の嫉妬を買った淀屋のように…
さらに、日本でランキングや順位が好まれ、それが変動しないことを好む特徴に関する起源も、歴史から解釈できます。徳川時代に、士農工商と呼ばれる、厳格な階級制度があったことは皆さんの方がよくご存じでしょう。階級の1番上には、大名、官僚である武士がいて、全男性人口の5%ぐらいを占めていました。(余談ですが、面白いことに現在の労働力全体における公務員の数も約5%なのです)。そして、最大のグループは全男性の87%を占める農民であり、残りの8%は職人や工・商人でした。
大名は常に赤字状態なのに、経済の中心にいる商人はお金持ちでした。江戸時代に様々な事業を手がけて成功した大坂の豪商「淀屋」のことはご存じでしょうか。淀屋は5代目の時、幕府に財産を没収されました。大名が商人の財産を没収した理由は、商人が贅沢を極めて資産を見せびらかしすぎていたからだとされています。
歴史に着目しすぎることには抵抗があるかもしれませんが、歴史はそれぞれの国のDNAを表している、と主張する学者もいます。そこで私は今日、現代の日本には、「大中小自」という企業階級があることを主張します。例えば日本では、自分の息子や義理の息子が大企業に就職すると、あらゆることが成功します。これはある意味当然のことでしょう。大企業に就職した若者は、給料はもちろん、結婚率も高くなるわけですから。
しかし一方、自営業主や起業家は大変苦労しています。ラーメン屋さんやクリーニング屋さんになると、優れたサービスに関して皆から感謝され喜ばれますが、それ以外においてはほとんど尊敬されません。それに、急成長するインターネットビジネスをしてお金持ちになると、「拝金主義」と悪い印象を持たれます。
大事なのは規模ではなく、成果
結論を言うと、まず、経営規模が大きいというのは、単に企業形態の1つでしかないということです。経営規模が小さいのもビジネス形態の1つであり、大小どちらも同じ価値であるはずです。そして成功するためには、企業の戦略的目標に合った企業形態を選ぶべきなのです。成功の鍵となる要因を最大限発揮できる規模を選択するべきだ、ということです。
規模より大事なのは、結果です。そしてビジネスにおいて結果を測る指標の1つは利益率です。自己資本利益率、総資産利益率、経常利益率など、利益率を測る方法はいくつかありますが、最終的にはどれも、使用している資産や労働力などといった限られた資源に対し、企業が効率的に機能しているかを評価しています。
「2014中小企業白書」では、2012年の企業規模を基に、 平均売上高経常利益率のデータを載せています。海外と比較すると、2012年の日本の大企業の経常利益率が平均3.4%で、非常に低いことが分かります。中小企業はというと、さらに低くて平均2.1%です。一見大企業の方が効率的に機能しているように見えるのですが、これは平均のデータであるため、この差はそこまで重要ではありません。
それは、中小企業が385万社あるのに対して大企業は1万社しかないのと、中小企業の平均利益率が、利益率の低い零細企業が足を引っ張る形で低くなっているという、統計の落とし穴があるためです。つぶさに見ると、多くの日本の中型企業は、大企業より高い利益率を記録しています。
世界に追いつこうとしていた時代の日本には、大企業という企業形態がぴったりはまっていました。企業の資産を増やし、社内の研究開発施設を造り、商業化のための新しいアイデアを膨らませ、最も賢い日本の若者達をトップの企業に引き込み急成長を狙うというのは、とてもいい戦略でした。しかし、その時代はもう終わりました。産業政策と高度成長期の時代は、もう昔の話です。現代の日本経済には、規模とは関係ない、新たな勝者と敗者が存在するのです。
注目は大企業を飛び出したハイテク起業家
企業規模の大小に関係なく、イノベーションは起きています。21世紀の新しいグローバル競争の中で日本を先導する多くの企業では、「選択と集中」の企業戦略を錦の御旗に、企業内の研究開発やベンチャーグループを縮小しているところです。その代わり、市場で新しいアイデアを買うなど、大企業が外部委託をすることに強い興味を持ち始めています。
つまり、小規模企業から新商品を買うか、吸収合併して内部に取り込むのです。既に、ソニー、パナソニック、日立、東芝などの「脱サラ」組により、多くのハイテク・スタート・アップが生まれています。そしてこれらの多くは、効果的にベンチャーキャピタルを惹きつけているのです。
それでも、彼ら起業家達の存在について多くの人はよく知りません。これはもしかしたら、今現在の日本に、起業家という言葉がまだ根付いていないからなのかもしれません。しかし、起業家の新時代は既に始まっており、彼らは様々なイノベーションを起こしているのです。
日本の社会秩序には多くの利点がありますが、将来的な成長に対する大きなコストもあります。強固な企業階級の短所に、もっと敏感になってもいいのではないでしょうか。